Tuesday, November 23, 2010

Thanksgiving Day


あさって25日(木)は サンクスギビングデイです。
この時期スーパーではターキーを丸ごと買う人がいたり、
あちこちに丸焼きのポスターが貼られていたり、
目のやり場に困るほど。

振り返ってみると、
私がビーガンになったきっかけはいくつかって、
そのうちの一つは、飼っていた猫を亡くしたこと。
二つ目は、アメリカのスーパーの肉売り場を見たことです。

なんといっても、アメリカで売られているお肉は
日本のに比べて単位が大きくて肉肉しい。
日本では大体きれいにスライスされて、とか
小さめのパックに入って、、でこれでも十分わかるのですが、
こちらのはより一層「元動物」でした、というのがあからさま。
特に、この時期でなくても普段から冷凍庫の中に
ターキー丸まんまのピッチリしたパックがごろごろと入れられている様子は
ショックでした。

そうはいってもこちらに来て何年もお肉も普通に、というより
おいしいと思って食べていましたが、
少しずつ、肉=動物の死体という事実が頭の中に蓄積されてきたのだと思います。

そうこうしているうちに、
ある日マンハッタンのカフェでチョコレートケーキを食べていたら、
隣にレゲエっぽいお兄さん(のちに同い年と判明)が座って、
「そのケーキおいしそうだね。」と言うのです。
私はもしやこの人、ちょっと分けてほしいのかな、
どうしようかな、と戸惑っていたら、
「僕はビーガンだから食べれないけどね。」と。
その時初めて「ビーガン」という言葉を知りました。
ビーガンとはなにかを訊くと卵もミルクも乳製品も摂らないベジタリアン、とのこと。
そのとき、この人は変なんじゃないか、と思いました。
お肉を食べない人がいるのはなんだか理解できるけど、
卵もミルクも??人生損してるんじゃない?って。

理由を訊くと、子供の時鶏を飼っていて、
鶏だって名前を呼んだら振り向いて飛んでくるよ、
動物にも感情があって表情があってなんでもよくわかってるから、と。
ちなみにその人は、魚は表情がないから食べる、と言っていましたが、、、。

私だって飼育委員で鶏もうさぎも世話していたこともあるし、
家でもうさぎと猫を飼ったことがあって
動物に感情があることはよく知っていました。
でもお肉のことはいろいろ考えないようにして食べていました。
しかし改めて言われてみるとそうだな、と。
とはいえ卵や牛乳を食べないのはおかしいな人、との思いは
しばらく消えなかったし、その後もお肉は食べていたのだけれども
ずっと彼から言われたことが頭にひっかかるようになり、
ビーガンという言葉もついて回ってきました。

その半年後くらいに日本からお客さんが来たので
がっつりしたお肉を立て続けに食べ、
気持ちも身体もしんどくなってきていたところに、
小龍包を食べた時がありました。
大きめの、お肉がいっぱい詰まったものだったのですが、
おなかは苦しくなってきたけれど
もったいないし残さず全部食べたのです。
そのときに、これはひどいな、と。
この肉にされてしまった動物は、
辛い怖い思いして殺された上に、
苦しいとかしんどいとか言われながら食べられて。
こんなのおかしいよな。

亡くした猫のことやお肉売り場のこと、
そしてレゲエのお兄さんの話してくれたこと、
それらもすべて一緒になって、
あぁ、もうお肉食べるのやめよう、と思い、
次の日から止めました。

そして今までひっかかってはいたけれど、
自ら調べることのなかったビーガンについて調べると
卵も牛乳も鶏や牛が犠牲になっているということを知って止めました。

レゲエのお兄さんには本当に感謝しています。
責める口調でもなく、ただ世間話のようにさりげなく話してくれたことが
じわじわ効いてきました。
なんだかんだ思うところはあったものの、
肉食を止めるには至っていなかった私に
最後の一押しをしてくれたのがこのお兄さんです。
ベジタリアンは知っていてもビーガンを知らなかった私に
そういう概念、生き方があることを最初に教えてくれたのもこのお兄さんです。
お兄さんの啓蒙活動にまんまとひっかかってしまいました。
別れるときに連絡先訊いておけばよかったなあ。
お礼が言いたくて。

私もこのお兄さんのように知らず知らずのうちに
誰かをビーガンにしていけたらいいなあ、と思っていますが
これがなかなか難しい。
気が焦るばっかりに押し付けがましくなって
さりげなく、ができないのです。

急いてはダメなのはわかっているけれど、
ターキーの丸焼きを見て、おいしそう!ではなく、
そのターキーがどれだけ辛い思いをしたか、
に思いを馳せる人を早く増やしたいなあ、と思う今日この頃です。

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