Monday, October 31, 2011

キノコとダウンジャケット


この秋は、野生キノコ探しがマイブームでした。これは家の近所に生えていたキノコ。
なんだろう?食べてみたい。


ハタケシメジであろう、との推測で食べてみたらとーってもおいしかったのです。
でも本当は何キノコなのか未だわかりません。毒キノコではないだろうけれど。

というわけで今回、キノコについて調べようといろいろなサイトを見ていたのですが、
その中でたまたま『大文字山を食べる』というブログを見つけました。
キノコに関してたくさんの情報が載っており、興味深く読みました。
そしてなんと、このブログを書いていらっしゃる安田陽介さんはベジタリアンだったのです!

ブログにはもちろんベジタリアンについても書かれています。
そこに書かれていたダウンジャケットに関する記事

本題はダウンジャケット。軽くて暖かくて心地よい。

ダウンとは、ガチョウの羽毛だ。その羽毛はどうやって集められているのか?

羽毛は、生きたままのガチョウから手荒く むしり取られるのである。
「ライヴ・ハンド・ピッキング(Live Hand Picking)」というのだそうだ。

これを知って、わたしは大いに反省した。自分がベジタリアンであるにも関わらず、ダウンジャケットを着ていたからだ。わたしは、あんまり深くは考えていなかった。「肉をとった後の死体からでも羽毛を取っているのだろう」
くらいに思っていた。だが、実際には生きたまま羽毛がむしり取られていた。ダウンを着ることは、間接的に
動物虐待に加担していることになる。

それで、「今もっているダウンジャケットは仕方がない。これを大切に着ることにして、
今後あたらしいのは買うまい」と思ったのだった。それが1年前。

ところが、それもまた不十分だった。

最近、こんな手作り小冊子に出会った。
イメージ 2

ベジタリアンと「健康」「環境」「生命尊重」などとの関係について、わかりやすくコンパクトにまとめられている好著だ。

ダウン(羽毛)の問題についても指摘されている。
イメージ 3

本当は全ページ紹介したいくらいだ。

この冊子の別のページでは、毛皮に対する糾弾も書かれている。そこに、「もし、昔 買った毛皮があるのなら…」とあって、
着ないで下さい。着ることは毛皮を宣伝することになります(その観点から私はフェイクも反対です)
持っている場合は外で使用しないで。(以下略)
と書いてある。「そうか…そう言われたら、フェイクも駄目だな~」と思った。

で、わたしは毛皮は持っていないが、ダウンジャケットに思い当たった。本質的には同じだ。

今まで、「すでに買ってしまったものは仕方がない」と言って、ダウンジャケットを外で着ていた。
ということは、ダウンジャケットの宣伝していたことになる。
「おっ! かっこいい男性がダウンジャケットを着ている! 自分もあんなダウンジャケットがほしい!」
と思った人が大勢いたはずだ。結局わたしは、間接的に動物虐待に加担していたことになるのだ。

大いに恥じて、大いに反省した。

…というわけで、ダウンジャケットを着て外出はせず、もっぱら室内着として使用しているのだ。」

私もビーガンになる前に買った革製品やダウンジャケット、その他の動物性衣類に対する
扱いにずっと悩んでいます。捨てるなど無駄にはしたくない、でも動物の死体を身に
着けたくない、でも使わないのは殺された動物たちに却って申し訳ないのではなかろうか、
新たに買わないのは言うまでもないが、今持っているものを大事に使うのが一番いいのでは
ないだろうか、でも、、、と。

特にダウンジャケットは、冬が寒いこちらでは重宝していました。
絶対に新調はしないけれど、今持っている物は、、と着ていました。
そんな中でこの記事を読み、これまた考えさせられました。
こちらでは先週末かなり早めの雪も降り、ダウンジャケットの季節になりました。
まだ自分の中で100%の答えは出せていないけれど、
“外で着ることが宣伝することになってしまう”という観点も取り入れて
この冬ダウンジャケットをどのように着るかを考えてみたいと思います。

6 comments:

  1. マオさん、こんにちは。昨晩やっと停電が直ってコンピューターが見られるようになりました。

    ハタケシメジ、おいしそうです。私も目を皿にして捜してみようかな。

    ダウンジャケットは、安いものは生きたままむしっているんですね。
    昔はダウンジャケットというのは、すごく高級品だったのに、最近はやたらと安いものが出回っていますよね。本来は、水鳥が巣を離れた後に、巣に残っている羽毛を集めていただけのはずなんですが、大量生産のためにヒドいやり方があたりまえになってしまっているんですね。
    中国の動物の扱いは、捜せばすごいものがいっぱいでてくるかも。

    私もダウンのジャケットや布団を使っています。あまり深く考えたことも無かったけれど、これからの購入は、考えてしまいます。

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  2. くにこさん、やはりずっと停電でしたか。珍しくなかなか更新されないのでもしや、と思っていました。大変でしたね、おつかれさまでした。

    ダウン、昔はそうして集められていたのですね。知りませんでした。確かにとても高級品で、うちでは買えなかったくらいです。今思うとそれでよかった
    です。今は動物を生き物としてではなく、単なる物としてしか見ていないのですね。仕事とはいえ、どうして痛がる動物を前にそんな残酷なことができるのか、と大変疑問ですが、簡単に手が届く値段のダウンジャケットを購入していた自分も結局はそれに加担していたんですね。大反省です。

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  3. 絹を作るときもおかいこさんを生きたまま煮ます。
    コットンの生産にも大変な環境汚染の原因になっている農薬を大量に使います。化繊はもちろんダイオキシンを発生させます。
    またライヴ・ハンド・ピッキングはとても一部の高価なダウンを生産するのにとられている方法ですが、市場に出回っているダウンのほとんどは食肉の副産物です。
    こちらのブログははじめて拝見しましたが、ベーガンやオーガニックにこだわっているわりには、失礼ですが、知識も理解もけして深くないように思いました。
    私もフォアグラなどの、過度にに贅沢な美味のための虐待には強く反対しますが、生きた動物を食物にしてその副産物を衣服などに利用するのは自然なことだと思いますし、人間だけ食物連鎖の生態系と無関係に生きようとするのは不自然だし奢りでもあるように感じます。良心的な生産者さんもたくさんいます。

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  4. ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り、私の知識はまだまだ浅く理解も深くないと自覚しております。ただ、私は人間は極地に住んでいない限り、本来草食&果食動物だと思っていますので肉食が必要だとは考えておりません。

    人間を自然界の食物連鎖に組み込むのであれば、人間も一人一人が狩りをして殺して捌いて食べるべきだと思います。昔の人達が厳しい環境の中で狩りをして肉を食べ、皮などを衣服などに利用していたことを否定するつもりはありません。

    しかしながら現代の工場式畜産業は食物連鎖の生態系とはずいぶんかけ離れています。よっぽど不自然です。そして肉を食べなくても生きていける現代において、いくら良心的な飼育環境を整えていたとしても動物を人間の為に殺して食べるということには反対です。本当の良心があれば、動物を殺すことなんてできないというのが私の考えです。

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  5. もうずいぶん前に投稿された記事ですので、ここに書いても見てらっしゃらないかもしれませんが、どうしても気になったので書きます。「本当の良心があれば、動物を殺すこ
    となんてできない」とありますが、日本には今でもハンターがいますし、彼らは自分で仕留めた鹿やイノシシを自ら捌いて食べていますよ。彼らの家族は子どもの頃からそんな現場を当たり前のように見て育っています。決して特殊なことではなく、山の近くの地域では今でもごく自然に行われていることです。特に最近では農作物の鳥獣害がクローズアップされる機会も多く、鳥獣(ジビエ)を食することを推進する動きも地方では活発になっています。では彼らに良心がないかと言うと、そんなわけはありません。特に農家の方にとって、鳥獣害は死活問題、まさに食うか食われるか、なのです。もちろん、あなたが仰りたいのは今の食肉産業の不自然さ、残虐さについてでしょうけれど、それにしても上記のコメントはあまりに視野が狭いと感じました。

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  6. 長いこと放置しているブログですが、ご覧いただいて、それもコメント部分まで読んでくださり、
    ご意見もくださってありがとうございます。
    そして私が書いたことで不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。
    今私は、イノシシのシッポを役所に持って行ったら有害獣対策に貢献したとして1匹分あたり5000円
    貰える地域に住んでいますし、ラジオでは隣の自治体のトップがジビエ消費推進をPRしているのをよく聞きますので
    おっしゃっていることは身近に感じています。
    自分の畑にもイノシシはやってきて一晩のうちに今までやってきたことが水の泡、なんてこともありました。
    だから野生動物を有害だと思い、それが死活問題だという人の気持ちもわかります。
    私の畑は趣味の範囲なので、お仕事としてされている方とはダメージが違い過ぎるので
    私自身はあぁやられちゃった、おなかが空いていたんだろう、
    美味しいと思って食べてくれたらそれでいいや、で済ませていますが。

    私の書き方は、自分がまるで良心の塊かであるような とっても上から目線でしたね。
    そうですよね、動物を殺すからその人に良心がないとは言えないし、
    動物を殺さないからその人には良心が溢れているとは言えないですよね。
    おかげさまで以前のコメントを書いたときから月日が経って、
    私も以前よりは俯瞰して物事をみることができるようになったと思います、ほんの少しだけですが。
    以前は自分を顧みないまま黒か白、悪と善、veganかそうでないか、の2極に分けたがっていたので。
    今はなんでもひっくるめたところに浮遊している気分です。

    ただベースはできるだけ動物(人間もその他の動物も)たちが傷つけ合うことなく
    共存していけたらいいなあと思っています。
    それが野生動物であれ有害獣と呼ばれるものとであれ。
    そして食生活としては、特に日本に於いては肉食は必要ないと思うので
    畜産業も猟の仕事もそんなになくていいのかなあと思います。
    究極はなくなることが希望です。皆で田畑をすればいいかなって。
    奥山は動物用に、里山は人間が、と住み分けて。
    もちろん奥山の環境保全(針葉樹の植林でなく広葉樹の山にする)した上でなので
    数十年でできることではないですが。

    猟師さんも命と向き合う仕事ということで
    神聖な気持ちでお仕事されている方ももちろんいらっしゃると思います。
    でも一方で猟の時期が終わると猟犬を山に捨てて行ったり、撃ち殺してしまう人もいると聞きます。
    この辺にも捨てられたであろう猟犬がフラフラしていることもあるようです。
    近所に居た(最近亡くなった)猟師さんは、罠にかかった動物を殺すときのことを
    楽しそうに話していました。この方は銃の免許がなかったので、専ら罠にかかったものを
    槍で刺すというやり方でした。近所の畑を持っている人たちは、檻を設置していて
    そこにイノシシなどが捕まると、その人を呼んで殺してもらっていました。
    おじさんはシッポを役所に持って行くとお金になるしで喜んでされていたようです。
    私はそういう話になったときは、吐き気がしそうなこともありましたが何も言わずに聞いていました。
    ではその人に良心がないかといえばきっとそんなことはないと思うし
    私にも気軽に挨拶をして話しかけてきてくれる気さくな方でした。
    おうちではメジロを可愛がっておられたそうです。(メジロは今飼育してはいけないらしいけれど)
    だから好きかといえばそうでもないし、嫌いでもない、
    軽蔑するかといえばそうでもないし、尊敬するわけでもないし納得するわけでもない。
    どうしてメジロは可愛くてイノシシやシカは(私からしたら)残酷に殺せるのだろう、
    鹿も目がクルッと黒くて可愛いのにな、とは思いますが、
    それは私の価値観でその人とは違う。それだけのこと。

    食肉産業の残虐さももちろん減ってなくなればいいし、
    辛い思いをしている動物のことを思うとやりきれない気持ちになるときもあります。
    だから菜食でも美味しく暮らせることをより多くの人に知ってもらいたいとは思う気持ちはそのままですが
    それに関わる事•人を批判しようとかそんな気持ちはなくなりました。

    これまた近所には、犬猫の保護活動に熱心に取り組んでおられ、
    お仕事としては出荷用肉牛の子牛のお世話をされている方もいます。
    方や命を助け、方や…と私には訳がわからずいろいろ訊いたのですが、
    牛たちは産業動物でそういう運命と割り切っておられます。
    話を聞いた当初はこの方には“本当の良心”がないのか?!
    と大変混乱したのですが、もちろんその人にも良心はありますよね。

    自分がお肉大好きだったこともあって、そういう産業、働く人々がいてくれるおかげで
    美味しい思いもできたし、自分の代わりに嫌な役目をしてくださっていたのだと思うと
    元々批判否定できる筋合いもないのですけどね。
    ただ、と殺場でつぶらな瞳が開いたままの切り落とされた牛の頭部の写真を見た時
    なんとも言えない気持ちになったので、これを見て気持ちのいい人ってあまりいないのではないかなと思いました。
    ということはやっぱり多くの人が動物を殺すということについてはよくないと、
    その人の“良心”が反応するのではないのかな…と思ったり(としつこい)
    でもこれも単なる私の価値観。

    ツラツラとよくわからない文になってしまいましたが、
    改めてコメントありがとうございました。




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