○ 人間の食べ物は定まっている
日本が終戦を迎える1年前の、昭和19年8月31日に降ろされた『天つ巻』第5帖には、
次のように示されている。
「牛の物食べると牛のようになるぞ。猿は猿。虎は虎となるのざぞ。臣民の食べ物は
定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら、
虎は虎となるのぞ。獣と神とが分かれると申してあろうがな。縁ある臣民に知らせて
おけよ、日本中に知らせておけよ、世界中に知らせてやれよ」
「臣民の食べ物は定まっている」と、神示はここで明確に告げている。肉食動物は肉を
食う、草食動物は草を食うように、天地弥栄(てんちいやさか)の法則に沿った“食律”
というものが、人間にもキチンとある、ということだ。
そしてさらに、何でも食べるようになった時、ーすなわち、この“食律”が乱れる社会と
なった時、獣と神とが分かれると示されてある。
「獣」とは、霊性が堕ち、ゝ(神の気)が抜けて◯だけになった獣性人間のことであり、
「神」とは、◯にゝがしっくりと納まった神人合一の神人のことである。人類は、やがて
これら二種類に分かれるようになる、というのだ。
では、正しい「食」とは何か。臣民の食べ物は定まっているとは、何を意味するのか。
それは、『碧玉之巻』第八帖に、具体的に記されている。
「四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。
臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」
(中略)
また、“四ツ足”というのは、牛、豚、羊など四本足で歩行する動物類を主に指す。こうした
動物は、生命進化において人間に近い生き物であるから、これを食することは「共食い」と
なる。よって、肉食をしてはならない、というわけである。
さらに、『梅の巻』第十四帖には、こう記されている。
「日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生べきもの、
作らせてあるのぢゃぞ。日本人には、肉類禁物ぢゃぞ。今に食い物の騒動激しくなる
と申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から
心鍛えて食い物大切にせよ」
ここでは、肉類禁物であるとハッキリ示されている。
肉類というのは、牛肉、豚肉、馬肉、羊肉、猪肉などの他に、鶏肉(羽も勘定すれば
四ツ足)なども含まれよう。
(中略)
この「肉食=共食い」という表現は、出口王仁三郎の直受した神示、『伊都能売神諭』
(いづのめしんゆ)の中に、すでに見られる。
「日本は神国と申して、昔から至精至浄(きよき)を専一(いち)と致して神に仕え、
政治を行うた国であるから、血に穢れたり、死穢れに踏合うたり、身体の●●なもの、
肉食をしたものは、神の御前に出仕事(でること)は許さぬ国であるから、日本人は
どこまでも五穀野菜と鮮魚(うみざかな)より外のものは、口に入れることは許して
いないのであれども、今の日本の人民は皆外国の真似を致して、牛馬の肉を食い、
猪、鹿、犬猫何でも構わず、四ツ足と見たら共食いいたすようになり、たまたま慎み
て四足獣(よつあし)を食わぬ人民があれば、時勢遅れの馬鹿と申して嘲笑うように
なりて了(しも)うて、この神州清潔(きよらか)の国土(くに)も、神聖至浄
(きよらか)の神民も皆汚れて了うて、今日の国家(くに)の状態(ありさま)、
神の住居を致すべき場所が、地の上には錐一本立つ場も無き所まで曇りて了うて
おるぞよ」(大正8年1月5日)
(中略)
いずれにしろ、神示に従えば、「肉類」を食べることは禁物なのである。
また、右の神示にある「今に食い物の騒動激しくなる」という部分は、「今に食が乱れて
くる」という意味にも取れる。そうすると、「今度は共食いとなるから」という意味も
よくわかる。
現在、日本人が享受している豊かな食生活には、必ずと言っていいほど肉が含まれている。
メインの料理に「肉」を食べないと、食事をした気がしないのである。一度、肉を一切
食べない食生活を実践してみるとわかるが、レストランに行って肉を含まないメニューを
探すのはかなり骨が折れる。神示に照らし合わせて、いかに今の日本人の食が
乱れているかということである。
『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』中矢伸一 徳間書店
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