Wednesday, July 27, 2011

日月神示 完全ガイド&ナビゲーション 3


 ○ 天国の霊人は動物性を嫌う

 (前略)

 さらに、右記の『地震の巻』によれば、霊人は動物性の食べ物を好まず、植物性のものを
好むことがハッキリと示されている。

 「また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠く離れたものを好む。
  現実社会における、山菜、果物、海藻などに相当する植物性のものを好み、同類で
  ある動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強く
  なってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみ
  ならず、かえって不快となるからである」

 ここに、霊人は自分たちの性に近いもの、すなわち動物霊的なものを食べると、歓喜しない
ばかりか、かえって不快となると示されているが、これはわれわれ人間が正しい食生活を
考える上で、じつに重要な啓示である。
 現在の人間社会では、皆、動物性食品を食べ、これを美味しいと感じている。これは
高級霊人の世界とは全く逆である。自分の性に近いものを食べて、喜びを感じてしまっている
のである。
 本来、動物性食とは不快なものであり、人間に許された食べ物とは、「五穀野菜の類」
であることは疑いようもない。この定められた食べ物を範囲を逸脱することは、宇宙秩序
に反する行為だと言える。
 また、先の神示と考え合わせると、植物性のものを食べる時、人間の側から見ればこれを
食べているのであるが、食べ物の側から見れば、人間を歓喜の中に引き込むことになるため、
人間を食べていることにもなるわけである。
 すなわち、人間が植物性のものを食べるという行為は、歓喜による融合を意味する。
 植物にとってみれば、人間に食われることは歓喜なのである。そのことは、『雨の巻』
第三帖に示されている。

 「草木は身を動物虫けらに捧げるのがうれしいのであるぞ。種は残して育ててやらねば
  ならんのざぞ。草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ。出世するから
  嬉しいのざぞ。草木から動物虫けら生まれると申してあろがな」

 食べるという行為そのものは、食べる側、食べられる側、双方の歓喜をもとにしたもので
なくてはならない。そういう歓喜とは、自と他、個と全がまつり合わし、大調和した歓喜
である。そうした真の歓喜なくして、正流と交わることは不可能であり、神の息吹と通い
合うことはできえず、したがって弥栄せず、生命しないのである。
 人間が、自分の性に近い動物食を歓喜と捉えるのは偽の歓喜である。なぜなら、食べられる
側にとってはけっして歓喜ではないからだ。
 肉食する者は、少しでも、人間に食われるために殺される動物の立場になって考えたことが
あるのだろうか。彼ら動物にも、夫婦や親子の情愛があり、生活があり、社会がある。傷つけ
られれば痛みは感じるし、怒ることもあり、殺されれば恨むこととてある。

    『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』 中矢伸一 徳間書店

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